SORA-healing

スピリチュアルな不思議体験談




NO .1



小学一年生だった、よく晴れたある日の午後、

突然、”意識” がしっかりと体と一つになった感覚を体感したことがあります。

とてもリアルだったので、はっきりとその時の気温やお天気や感覚を覚えています。

自分の手を見てみたり、体感覚を感じながら、

ちょっと前までここにいなかったのに、生まれてきちゃった!って思ったのでした。


大人になってそれを思い出すと、

生まれてからの数年間 私の意識は、生まれる前の世界と行き来していたのではないかと思ったことがあります。

幼い子供達の中には、不思議なことを話すことがあるそうです。


数年前、ある良く晴れた青空の下で、5歳の姪がふいに話してくれたことがあります。

「神様がママのところに行きなさいって。○○(自分の名前)はね、ママに会いたかったの。」




人間は、体験したい環境を自分で選んで生まれてくるということを聞いたことがあります。

自分で選ぶことと、更に別の存在に応援されている状況で生まれて来ているのかもしれません。

私にも、何故か、今回の人生を終えたら、楽しかった!と報告したい気持ちがあるのですが誰に報告するのだろう。

きっと、5歳の子が話した存在と同じなのかもしれません。

しかも、どうしても”楽しかった”じゃなくちゃだめなんです。。

生きることとはどういうことなのだろう。






2002年にスピリチュアルに出会いました。

何気なく興味を持ったヒプノセラピーがあり、セルフ瞑想をやってみたことがありました。

過去生を知る事が出来るという瞑想です。

私は、ヒプノセラピストの方に瞑想に入りやすい体質だと言われたことがあるのですが、

周りの音は聞こえている状態なのですが、心の中(頭の中かな?)に、情報が湧き出るような不思議な体験をし、

今の家族である、母と祖父は、過去生で出会ったことがあることを知りました。

祖父とは、何回も孫と祖父との関係で生まれてくる関係で、

母とは親子の関係だったことがあるようです。過去では母は息子だったようです(笑)

とても可愛がって育て幸せな人生を送ったことがある関係です。


祖父は、毎回”人生での仕事”を教えてくれる人だそうです。

確かに、祖父は1999年に亡くなりましたが、亡くなってから夢の中で何度も会話しましたし、

とても厳しさのある祖父でしたが、とても優しい祖父でもあり、その姿から大切な影響を受けているように思えることがあります。

その祖父からは、別の方向に行かないように、亡くなってからも時折サポートしてくれているように感じる事があります。

縁とは、人間同士の関わりだけではなく、もう少し大きな括りのものもあるのですね。





NO.2



何年も前に、あるエネルギーヒーリングの勉強をしました。

何人もの人とエネルギー交換したり、ヒーリングさせてもらったりしましたが、エネルギーの質がそれぞれ違うことを体感しました。

その違いは、それぞれの意識(心)にあるように思います。

感じることが「双方同じ」という経験をすると、受け取り受け渡しのどちらかという概念がなくなり、

同時にそこで体感している、ということを実感します。



あるところに意識を向けるときや、また、日常でも普通感覚で色々なところに意識を向けていると思うけれども、

心が温かなものであれば、気持ちを向けたところ(人)は温かさで包まれ、

嬉しい心があれば、嬉しさになり、応援の心があれば、力になります。


受け取り方はいろいろで、いろいろな表現方法があると思います。

一人ひとりの力は小さくても、そこにどんなものがあっても、それを実践し続けます。






NO.3


祖母が亡くなったときのこと。


朝、リビングで朝食を終え、のんびりと外の景色を見ていたとき、

どことなく遠くで、お寺の鐘の音が聞こえて来ました。

「あれ?鐘の音が鳴っているような気がする」と気づき、耳を澄ませたらまた鳴り、2度ほど音を聞きました。

自宅のある場所の近くにはお寺などは無いので、聞こえるはずもありません。

ふいに、おばあちゃん亡くなったとか・・・?と思いましたが、

だけど、いやいや、まさかね。。って、私の頭は否定したのです。

それから2時間後、自室に携帯電話を取りに行くと、”亡くなった”と知らせのメールが入っていました。

びっくりしました。

さっきのお寺の鐘のような音は、『知らせ』だったのだと思いました。



ちなみに後から、この出来事を考えてみたとき、

何故お寺の鐘の音だったのかということについて、

祖母は生前、仏教を通してお寺のお坊さんとも親しくしていたのですが、

それを私が知っているので、お寺のような鐘の音で ”気づける” 可能性があるからだと思います。

そんな風に、日常のなんでもないことにメッセージを吹き込んで知らせてくれることがあるのだな、と

そう思わせてくれる出来事でした。


ちなみに、叔母(祖母の娘)は、電源を切っている携帯電話が鳴り、知らされたそうです。(ビックリです)

叔母は、離れた場所に住んでいるので、携帯が鳴らなかったらそのまま仕事に行ってしまい、

携帯電話を見ることがないので、鳴らなかったら当日帰って来れなかったそうです。


余談ですが、祖母が亡くなってからしばらくの間、周りで「おばあちゃんがちょこちょこ走りまわっていた」と、

母が話しました。仏壇の前で亡くなったことを心で伝えながら、お経を読んで2週間ほどで

気配を感じなくなったそうです。

祖母の亡くなり方が、ちょっとした体調不良で検査してくるだけの入院でそのまま亡くなったこともあり、

亡くなったことを自分で理解出来ていなかったのかもしれません。


また、父が「人は死んだら、ただ元の場所に行くだけなのではないか」と突然話し出しました。

スピリチュアルな話なんてあまりしなさそうな父でしたが、

急に亡くなったことで悲しみから大きく沈んでしまう日もあったと母から聞きましたが、

亡くなった祖母の方から、悲しみを癒すためのメッセージを、「気づく」という形で

心の中に送ったのかな、と思っています。

そう思うのは、直観について少し体験を通して知っていることがあったので、そう理解することが出来ました。

私たちはお互いが励ましあって、教え合いながら心を生きているのだなと思います。



話は戻りますが、なぜ私に亡くなった祖母から「知らせ」が来たのか。

それについて、生前祖母に 生まれ変わりの話を一度したことがあったのですが、

祖母は「死んだら終わり、そういう話は嫌い」と言ったことがあったのです。

それについて、ふと、不思議な体験を通して、

亡くなっても魂は生きているよ、と教えてくれたように思いました。








人は、何故亡くなったら、その人を送ってあげる、という意味でお葬式をあげて何回忌法要なんてものをするのだろう。

何故、お盆には仏様を連れて返ってきて、お盆が過ぎたらお墓に戻してあげるっていう発想を持っているのだろう。(日本では)

なぜ人は、生まれ変わったら何になりたい、とか、前世は○○だったかもね~、なんて、

何気なく、冗談っぽく(面白く)話すのだろう。


不思議体験だけではなく、日常でふとみんなが話してしまうことから観察しているうち、

体と一つになって生きている存在だってことが普通となり、死んだら終わり、とは思えなくなります。

体があるなし関係なく生きているということが普通になります。




人々は自分たちの存在がどうであるかを覚えていないけれども、

もしかしたら、「どこかで覚えている」という不思議な状況で生きているのかもしれません。







亡くなっても魂は生きているのが本当であれば、

生前、死んだら終わりだと言っていた祖母自身が一番驚いたのではないかと思います。

亡くなった時、とてもビックリするような表情をしていたそうです。


この体験を通して、もうひとつ祖母から貰ったメッセージがあります。

祖母の死とその後の家族みんなが体験した不思議体験で、

体を離れたら何でも出来るんだね、と、家族と話したことがありました。

今、特別や何か”力”を求めることなく、心の体験を通した喜びを感じながら、

”元々持っている自分の本質(本当の力)”を大きく羽ばたかせることに心を向けていればいいのではと思いました。






例えば、鎧を身につけ、自分は強いのだと誇示するのは違います。

資格や肩書きも同じことが言えます。

自分の中身にある個性を表現するために必要だから、それを手にするのが本来の持ち方。

これを持てば何とかなるだろう、などという発想で持とうとすると、

永遠に求めて行くことになるのではないかとも思います。


先に亡くなった方や、”自然” からどこと無く気づかされ応援されながら「生かされている」ことを感じます。




2013.01.12